ぼちぼち父さんのブログ

ほどよくやって、ほどよい父さん

子の眼に映る父親は

 

ふと、考えてしまうこと。

 

今の自分は

ある程度、歳を重ね

それなりに稼ぐ力を持った大人になったこと。

夫婦という小さな関係から始まり

子供達がこの世に生を受け、

家族というコミュニティを形成することができたこと。

 

仕事での自分。

家族の中での自分。

人として、男性として、父親としての自分。

そんな自分に

時々疑問を感じることが。

 

 

お世辞にも

裕福ではない家庭に生まれ、

夜逃げを繰り返すような生活。

母親は寝る間を惜しみ、

仕事や家事、子育てに追われる生活。

 

父親といえば、

仕事は長続きせず、

揉め事ばかりを引き起こすトラブルメーカー。

朝から酒に入り浸り。

子供達は

家に帰ってくれば、

父親の顔色を伺いながらの生活。

母親が帰宅すると、いつもはじまる夫婦喧嘩。

喧嘩と言っても父親が一方的、

逃げ回る家族。

夜な夜な、

父親が寝入るまで、

母親の小さな軽自動車の中で、時が過ぎるのを待つ生活。

 

そんな生活の中、家族の中で育ってきた自分が

今は父親の立場に。

 

 

反面教師という言葉がある通り、

あんな父親にはなってはいけないと思うのが

自分の父親であること。

親子という繋がり、血の繋がりがあることで

潜在意識の中に

自分も同じような父親になってしまうのではないかという恐れ。

 

時々、フラッシュバックのように

自分の頭の中で

浮かんでは消え、浮かんでは消え。

 

ただ、

自分が生きている、存在意義があるのは

家族という集まり、

妻や子供達が傍にいるおかげ。

それはいつも忘れてはいないし、これからも決して忘れない。

 

 

今の自分は父親として

子供達にはどう映っているのか。

子供達にとっていい父親であるのか。

 

手本となるような、

父親の姿を見てきていない自分にとって

日々模索しながら、迷いながら

父親をしています。